石笛について

石笛ってなに?

太古の昔…縄文時代もしくはそれ以上昔から日本に存在していた石でできた笛。人工的に作られるものではなく、二枚貝の1つであるニオ貝が作り上げる全く自然な楽器。古語では“いはぶえ”と呼ばれ、遺跡からも出土している。

横澤和也のコメント「月刊フナイ・メディア」より

「我々は音楽というと、ドレミの音階を使ってやるものだと思っていますが、石笛はそうではありません。普通に吹くとその人のスタンダードな音が出ますが、気持ちが高揚すると音も高くなり、落ち着くと下がります。つまり吹く人の気持ちが音になるのです。ですから音階がなくても音の表現ができる。これが石笛です。」

民族性や宗教性を越えた人類太古の音

もともとフルート奏者だった横澤さんと石笛との出合いは、奈良の奥吉野にある天河弁才天を訪れたとき、そこの宮司に「音霊を神様に奉納して欲しい」と頼まれたことがきっかけだった。何度か奉納演奏に訪れているうちに、ある日、神殿に祭ってあった石笛を宮司に手渡され、演奏するように言われる。  初めて見る楽器を試し吹きしようとした横澤さんは、「石笛は神を呼ぶ。だから練習してはならない」という宮司の言葉に強烈な驚きを感じた。吹き方も音色もわからない石笛を前に、無我無心の境地で臨むしかなく、ただ丁寧に息を吸い、丁寧に息を吐くことだけに心を集中させることでその場と一体となり、すべてと調和する感覚を体験したという。

「西洋音楽であるフルートは人間が吹きやすいようにつくられていますが、石笛はたとえ吹きづらくても、人間のほうが唇を合わせていかなければならない。これは大きな違いです。人間が自然に歩み寄っていくというのは大和民族の基本なのです。私は、音楽とは森羅万象すべての調和の中で行うものだと思っているので、マイクは使いません。ですから石笛から出る音の波は、必ずみなさんの鼓膜に響きます。でも実は、音は鼓膜ではなく身体に作用するのです。石笛を吹くと音の波動が直接胸に入っていくので咳が出やすくなりますが、異常なことではありません。」と横澤さん。

石笛は胸のチャクラに作用する為、精神が安定している人は、はじめはびっくりしても石笛の音色に心をあずけることができる。しかし、不安定な人には無理だという。
「石笛は神道が大事にしてきた楽器ですが、実はどこの国のものでもないのです。私もいろいろな所で演奏しましたが、どの国でも受け入れられてきました。石笛の音には音階がないので民族性や宗教性もなく、教会で吹いても違和感がありませんでしたね。」
 聴き手の国籍や宗教、年齢や性別に関係なく届くという石笛の音色。つまりそれは、石笛の音がケガレのない純粋な波動を持っているということなのだろう。昔から神道では、神様は音に乗って現れると言われている。そして神が乗る音にはケガレがあってはいけないとも。横澤さんは語る。
 「石笛はつくろうと思ったら簡単にできるし、同じような音も出ます。でも、最もケガレがないのは大自然がつくったもの。だからこそ神様を呼ぶのです。今でも由緒ある神社では、御扉を開けるときに『降神昇神』という儀式があり、石笛を吹きます。石笛はつい最近まで“神呼びの笛”と呼ばれてきました。私が感じる石笛とは、本来自然によってつくられたものなのです。」
 カーネギーホールで行われた演奏会では、司会者が石笛の音を「日本の古代の伝統的な音楽」と紹介したところ、演奏後にやってきたアメリカ人記者に、「石笛は日本の古代の象徴的な音ではなく、人類の太古の音だ。」と言われたことがあったとのこと。それは、石笛が自然界の音を奏でていることにも理由がありそうだ。横澤さんは、「ハーモニーという概念は西洋のもの。人間が便宜的につくった音階に合わせないと、美しいハーモニーではないという考え方はおかしい。本来、全てが調和している自然界に不協和音はありません。地球上の音は、全てがハーモニーなのです。」と語ってくれた。もしかしたら、民族性や宗教性という集合意識を超えたところに、石笛の音は存在しているのかもしれない。

 私たち人間も、あらゆる波動と影響し合う、音とリズムの存在といえそうだ。シンプルにそう考えれば、自然と調和し、よい音の波動と上手に同調すれば、心身を健康で穏やかに保てるのではないだろうか。
「音楽は単なる趣味や嗜好だけのものではありません。音は、生命の誕生から関わり、もしかしたら人類の最も古いお医者様は、音楽であったかもしれないほど深いものなのです。音楽の始まりは、雷鳴や鳥のさえずりや、風に折れて鳴るアシなどの自然の音だと思います。人間がそれらを真似て、心地よい音の組み合わせをつくり、音を楽しむようになったのが音楽です。だから音楽は、楽しむものであって、学ぶものではないはずです。」と語った湯川さんの言葉が耳に残る。

 創造していた以上に深い、音の持つ力。しかし、音楽とは音を楽しむこと。  難しいことは考えず、心地よかったり、そのとき聞きたいと思うような音や音楽を聞けば、まずそれでいいのではないだろうか。今晩は昔よく聞いたCDでもかけてのんびりしたい気分になった。